人がカードやアウトラインソフト(ワープロ)等を使わずに、頭の{メモリ・RAM・頭のデスクトップ}で、すべて把握可能なのは、
図のような、2つ分けの単純な場合でも、
(その深さは)2階層目程度。
3階層目だと、メモリの容量をオーバーしてしまう。
ただし、オーバーするのは、左脳。
右脳でイメージ的にぼんやり眺めるくらいはできる。
--------------------------
一番左の{□・四角}1個を見たときに、頭が受けるエントロピー圧(ストレス)は、
H=0
□が2個の場合(2段階目)、頭が受けるエントロピー圧は、
H=1
□が4個の場合(3段階目)は、
H=2
□が8個の場合(4段階目)は、
H=3
--------------------------------
三段階目(H=3)は、容量オーパーなので、頭がストレスで、というより、全体(たった8個の□)が、把握できない。
人が記憶できる容量と言われる7個は、H=3の少し手前。
(8進数がいいのではないだろうか)。
木の枝分かれを見る場合は、枝の先が3つ又、または枝が2段階に分かれてて、その先に実がなっているような段階では、もう把握できない。
サルは、ぱっと見て、覚えて、さささっと木に登って、どんどんとっていく。
生存競争。
人は、そのメモリ(空間把握能力)を失ってしまった。
しかし、そのかわりに、{言語・言語野・言葉・会話・コミュニケーション}の能力を獲得した。
これは、脳の中での、言語の再帰的ルーチンと関係しているのではないだろうか。
すなわち、鳥や動物の鳴き声と、人の言葉との、もっとも大きな違いは、{「再帰的定義」・「括弧でくくること」}である。
しゃべれる九官鳥には、これができない。
「それ」は「これ」で表される。
「これ(それ)」
関数f(x)も、かっこでくくる。
そして、括弧でくくる、ということは、合わせ鏡。
言葉の世界は、合わせ鏡が生じて、フラクタル図形のような、無限の繰り返し、このようなことが、頭の中の波(すなわち、思考は粒子ではなく頭の中の波・電磁波のようなもの・あるいは心は量子ゆらぎてきなもの)では生じている。
こっちがぐるぐるする、かわりに、単純なビットマップ的なメモリにぐるぐる電気・波が流れ続けるようなのが無くなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿