「東大合格生のノートはかならず美しい」という本で紹介されているノートは、参考書のようにきれいに書かれており、これは、例えば野帳にだだーっと描き付けるようなメモ書きとは逆の、カード(単語カードや歴史カード)の集まりのようであった。(なぜか紹介されているものの多くはマインドマップのようなものではなかった。)書籍の企画では「ドット罫線」を提案しており、このイメージは「方眼」である。
すなわち、個々の事項(粒子)を集めて(①再帰・合わせ鏡)、それを並べる(②創発・剣)ようなものであった。コーネル方式や三本線のように、内容を1つにまとめる(③相転移・玉、一言化)、というような部分は共通認識ではないようであった。
実際の授業では、このように内容を理解しながら、それと並行してきれいに揃えながら、きれいにまとめてゆく、という2つ以上の作業を同時に行うのは、物凄くストレスがたまると思われ、これが出来るものが東大生、という印象を受けた。
きれいに書く、というのは、個々の事項をなるべくくっきりと明確に分けながら記述してゆく、という効果があるように思われ、カードもまた同じ効果があると考えられた。
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